ハンググライディング世界選手権の30年
フリーのライターで写真家でもある松田保子さんに、30年のハンググライディング世界選手権を振り返っていただきました。また、たくさんの写真も掲載させていただくことができました。
■世界選を振り返って
第1回  オーストリア コッセン  1976年9月1日〜12日
第2回  フランス グルノーブル  1979年7月30日〜8月11日
第3回  日本 別府  1981年10月1日〜11日
第4回  ドイツ フュッセン(テーゲルベルク)  1983年6月5日〜19日
第5回  オーストリア コッセン  1985年5月25日〜6月9日
第6回  オーストラリア ブライト  1988年1月26日〜2月13日
第7回  スイス フィェシュ  1989年7月8日〜22日
第8回  ブラジル ゴベルナドールバラダレス  1991年2月24日〜3月10日
第9回  アメリカ オーエンズバレー  1993年6月27日〜7月11日
第10回  スペイン アージェル  1995年7月1日〜15日
第11回  オーストラリア フォーブス  1998年1月26日〜2月9日
第12回  イタリア モンテクッコ  1999年7月26日〜8月8日
第13回  スペイン アルゴドナレス  2001年6月16日〜30日
第14回  ブラジル ブラジリア  2003年8月16日〜30日
第15回  オーストラリア ヘイ  2005年1月6日〜19日
第16回  アメリカ ビッグスプリング  2007年8月9日〜17日
■ハンググライディング世界選手権の30年
松田保子
ハンググライディング世界選手権は原則として2年に一度開催されます。
第1回は1976年にオーストリアのコッセンで開催されました。私が初めてハンググライダーで飛んだ(跳ねたというべきか?)のは、その前年。地表近くを滑空するだけの時代に『世界選手権』と聞いてもピンと来ませんでしたが、フランスで飛び始めたという岡芳樹(当時は良樹)さんたちが、嬉しそうに出掛けて行ったのを覚えています。
第2回は1978年に南アフリカ共和国で開催される予定でしたが、アパルトヘイトに反対する国々が参加をボイコットし、お流れになったと記憶しています。場所をフランスに急遽変更し、第2回は1979年に開催されました。
そして、第3回は1981年に大分県別府で開催! 日本のハンググライディング界は様々な収穫を得ました。私も『ハンググライダー』の取材でずっと現地に貼り付き、いろいろなことを知りました。世界では日本の何倍もスケールの大きなフライトがされていること、子供騙しの小さなタスクを『ミッキーマウスタスク』と言うことなど……。(今回日本チーム入りした鈴木由路さんが、別府大会閉幕の数日後に生まれたと知って、時の流れを感じました。「はああ?」という感じですね。)
第4回は1983年にドイツで開催され、ハンググライディング界のサラブレッド、スティーブ・モイスが世界一になりました。
1984年、私は学生時代からお世話になったファルホークを辞めてフリーランスになりました。以来、1985年の第5回から2005年の第15回まで毎回、日本チームの皆さんに助けてもらいながら、取材をしてきました。85年のオーストリア大会の頃と現在を比べると、機体性能も飛行技術も格段に進歩しました。それにつれて世界一のパイロットを決定する競技も変わってきました。ここで世界選手権の30年を振返ってみましょう。

*ポジフィルムを家庭用スキャナーで画像にしているので、写真があまりきれいではないのが残念。でも雰囲気はつかんでいただけるでしょう。第1回、第2回、第4回以外はすべて松田撮影。
*成績は、国際航空連盟(FAI)のウェブサイトまたは現地でもらった成績表から。FAIサイトに掲載された日本選手の順位が現地成績表と異なることがあり、その場合はFAIサイトを優先にしました。
■第1回 オーストリア コッセン 1976年9月1日〜12日
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クラス1パイロット:西本久平、田口政幸、岡芳樹
クラス2パイロット:木下徹二、小桜晴美、只野直孝
クラス3パイロット:大河原茂、山崎勇祐
国際航空連盟(FAI)承認の初めての世界選手権。日本を含め25ヶ国が参加。選手8名は羽田空港のVIPルームで結団式を行い「参加することに意義を感じてやって来い」と送りだされた。競技の内容は滞空時間と着陸精度。
以下は岡芳樹さんの報告の一部。
「世界選手権大会に参加して感じた事は勝つためにはまず自分の機体を乗り込むこと、その場所で前もって出来るだけ飛行すること、ルールを良く知っておくこと、肉体および精神を頑強にしておくことが不可欠であること、である。今回参加した日本のメンバーは私を含めてほとんど以上のことを満たしていなかったので不本意な結果に終わってしまった。」(ファルホーク株式会社発行『どじがらすNo.2』より)

*成績(クラス分けは現在と異なりすべてフレキシブル)
■スタンダードクラス
1位 Steinbach,C. オーストリア
2位 Steinbach,J. オーストリア
3位 Duncan,R. オーストラリア 
25位 西本久平  28位 田口政幸  29位 岡芳樹
■クラス2
1位 Delore,T. ニュージーランド
2位 Kupchanko,D. カナダ
3位 Moyes,S. オーストラリア
49位 木下徹二  58位 小桜晴美  59位 只野直孝
■クラス3
1位 Battle,K. オーストラリア
2位 Price,S. アメリカ
3位 Hotstetter,O. スイス
22位 大河原茂  40位 山崎勇祐

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■第2回 フランス グルノーブル 1979年7月30日〜8月11日
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団長:宮原旭 チームリーダー(兼選手):松尾悦志
クラス1パイロット:西野光夫、早川博久、松尾悦志、岡芳樹、大平雅大、高見正治、菅沼孝伸、保呂田恒行
クラス2パイロット:筧稔
初回から3年が経ち、セットタイム、デュレーション、540度旋回、スポットランディングに加えてクロスカントリー(パイロンを選択するスピードラン)競技も。
岡芳樹さんの報告(ファルホーク株式会社発行『ハンググライダー』VOL.3掲載)のあちこちに『サーマル』『ソアリング』の文字が躍る。強豪チームは地上から選手に無線で情報を送っていることを知り、無線機を持参しなかった日本チームは後悔したとのこと。タスクによって一日に2本飛ぶこともあった。夜には選手ミーティングを行い、各自の得点を棒グラフにして分析するなど、日本選手の競技に対する意識はかなり高くなった。

*成績
■クラス1(ウエイトシフトコントロール) 個人
1位 Guggenmos,Josef 西ドイツ(当時)
2位 Carr,Johnny イギリス
3位 Thevenot,Gerard フランス
41位 西野光夫  59位 早川博久  63位 松尾悦志  68位 岡芳樹  
70位 大平雅大  107位 高見正治  108位 菅沼孝伸  119位 保呂田恒行
■クラス2(空力的コントロール) 個人
1位 Miller,rex アメリカ
2位 Hartl,Wolfgang オーストリア
3位 Olschewsky,Hans 西ドイツ(当時)
29位 筧稔
■チーム(総合)
1位 フランス
2位 西ドイツ
3位 イギリス
11位 日本

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■第3回 日本 別府 1981年10月1日〜11日
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チームリーダー:河辺忠重
クラス1パイロット:藤田直己、鈴木康之、市田博之、大平英二、奥野誠、浅田幸三、菅沼孝伸、早川博久
クラス2パイロット:田端澄人、二上浩充、平田敬二
18ヶ国、115名が参加。アジアで初めての世界選手権開催。サーマルソアリングは当たり前になったが、第2回同様、タスクはセットタイム、デュレーション、スピードランなど。スポットランディングも残っている。アメリカの某選手が優勝候補を道連れにアウトサイドランディングし、僚友が勝つための障害をひとつ潰すことができたから悔いはないと語ったと聞き、そんな考え方もあるのかと驚いた。個人の優勝のために一丸となるチームがあれば、個人より団体優勝をめざすチームもあった。『チームフライト』という言葉は、日本人にはまだ馴染みの薄いものだった。

*成績
■クラス1(フレキシブル) 個人
1位 Lopes,Padro Paulo ブラジル
2位 Pfeiffer,Richard アメリカ
3位 Slater,Graham イギリス
21位 藤田直己  45位 鈴木康之  49位 市田博之  60位 大平英二  
63位 奥野誠  66位 浅田幸三  71位 菅沼孝伸  87位 早川博久
■クラス1 チーム
1位 イギリス
2位 スイス
3位 西ドイツ
11位 日本
■クラス2(リジッド) 個人
1位 Bird,Graeme ニュージーランド
2位 Lussi,Walfer スイス
3位 Poscher,Hang オーストリア
12位 田端澄人  15位 二上浩充  18位 平田敬二
■クラス2 チーム
1位 西ドイツ
2位 スイス
3位 ニュージーランド
6位 日本

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■第4回 ドイツ フュッセン(テーゲルベルク) 1983年6月5日〜19日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:岡芳樹
パイロット:岡芳樹、二上浩充、奥野誠、小島勲、山村森雄
29ヶ国、148名参加。クラス1だけにも関わらず、それまでにない多数のエントリーだった。史上初、女性選手(ブラジルのKeka)も出場した。タスクは主にアウト&リターン。決勝最後のフライトを除き、8〜9人のヒートで競技。上空からパイロンを撮った証拠のフィルムを当日夜に提出し、翌朝パソコンで打ち出された仮成績を見て必要ならクレームをつけるという方式が始まった。
岡芳樹さんの報告から。「……世界のベストパイロットと一緒に飛んでみて……彼らはサーマルをつかんでトップアウトするのが確実で、しかも速い。かなりスピードを重視した攻め方をしていると、つくづく感じた。」(ファルホーク株式会社発行『ハンググライダーマガジン』VOL.37掲載)

*成績
■個人
1位 Moyes,Steve オーストラリア
2位 Smith,Stew アメリカ
3位 Hobson,Graham イギリス
55位 岡芳樹  72位 二上浩充  106位 奥野誠
140位 小島勲  141位 山村森雄
■チーム
1位 オーストラリア

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■第5回 オーストリア コッセン 1985年5月25日〜6月9日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:岡芳樹
パイロット:池之上透、外村仁克、峰岸正弘、小田島久則、平田敬二、内田孝也、木下雅夫、二上浩充
タスクはゴールフライト(パイロン有り/無し)や三角コース。飛行距離(km)を2倍にした数字にランディングポイントを加算する得点計算方法。スピードを意識しながらも、まだ長距離を飛ぶことに重点が置かれ、着陸の精度も問われた。飛行中の無線交信は禁止。メインのランチサイト(テイクオフポイント)から見える丘の向こうはドイツ。国境越えは0点。チロルの風景はどこを切り取っても美しいが、山は屹立し谷は深い。選手は風が強烈に吹き抜ける谷にはまって苦労した。最も目立ったのは、ジョン・ペンドリーと前回チャンピオンのスティーブ。後半は2人の一騎討ちの様相。日本チームでは池之上透が唯一人決勝に進出した。その積極的な飛びが評価され、後に国際大会に招待される。

*成績
■個人
1位 Pendry,John イギリス
2位 Moyes,Steve オーストラリア
3位 Haney,Randy カナダ
19位 池之上透
■チーム
1位 イギリス

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■第6回 オーストラリア ブライト 1988年1月26日〜2月13日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:桂敏之
パイロット:肥田修、池之上透、峰岸正弘、田中栄一、坂本三津也、藤田直己、梅田昭守、藤沢和則
6ヶ所のランチサイトを使用。80km〜120kmのタスク。ゴールはラインのみ、ターゲットはなくなった。飛行中の無線交信が自由になり「チームフライト」の意識が高まる。地上サポートもさまざまな情報を選手に送るようになった。決勝で初めて使われたランチサイト、マウント・バッファローは巨大な岩山。飛び立つ場所の下はオーバーハングしていて、失敗は絶対に許されない。ランチャーは命綱をつけて選手のサポートを。南半球のため「暖かい北風」が吹くことに最初は混乱した。のんびりしたお国柄のせいか(?)選手は皆、のびやかに競技していたように思う。初めてソ連(当時)チームが参加し注目の的になった。後のチャンピオン、チェコスロバキア(当時)のトーマス・スカネクが頭角をあらわす。ユーゴスラビアチーム、最後の参加。日本チームは肥田修をはじめ大健闘、5位の成績をおさめた。残念ながら、クラス1では今もこれが日本の最高の成績だ。

*成績
■個人
1位 Duncan,Rick オーストラリア
2位 Case,Bruce アメリカ
3位 Moyes,Steve オーストラリア
21位 肥田修  26位 池之上透  27位 峰岸正弘
39位 田中栄一  56位 坂本三津也  60位 藤田直己
108位 梅田昭守  135位 藤沢和則
■チーム
1位 オーストラリア
5位 日本

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■第7回 スイス フィェシュ 1989年7月8日〜7月22日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:縣俊介
パイロット:田中栄一、藤田直己、坂本三津也、肥田修、外村仁克、峰岸正弘
山岳地帯の風に翻弄され、50km〜130kmのタスクだったが、非常に時間がかかった。競技空域は東西に長い谷にあり、谷の東方では氷河おろしの北東風がゴーゴーと吹き抜けるのが常のパターン。タンブルしながらセンタリングしていくという場面もあり、乱気流相手の我慢大会と感じることもあった。当初はクラス2(リジッド翼)の競技も予定されたが、参加者不足でとりやめになった。ランチサイトから高度を上げるとすぐ背後に、北方のユングフラウに続くアレッチ氷河を見ることができる。眺望は素晴らしいが、選手はそれを楽しむ余裕を持てなかった。
前回、実力は認められながらも若すぎるため出場できなかったという噂のロビー・ウィットルが、20歳でチャンピオンに。トーマス・スカネクは僅差で勝利を逃した。日本チームは、残念ながらいまひとつ力を出し切れない様子だった。

*成績
■個人
1位 Whittall,Robert イギリス
2位 Suchanek,Tomas チェコスロバキア(当時)
3位 Pendry,John イギリス
36位 田中栄一  54位 藤田直己  65位坂本三津也
80位 肥田修  116位 外村仁克
■チーム
1位 イギリス

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■第8回 ブラジル ゴベルナドール・バラダレス 1991年2月24日〜3月10日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:内田孝也 アシスタント:金子章
パイロット:今嶋功、田中栄一、梅田昭守、相川利生、峰岸正弘、山本滋
安全かつ最良の競技を行うため、テクニカル・コミッションを選手が投票して選んだ。異常気象で雨が多く、選手は弱いリフトに苦戦した。50km〜100kmのタスク。ゴールできずに降りると、地元の住民が子供も大人も大勢見物にやって来る。ランチサイトはゴベルナドール・バラダレスの町のそばに聳え立つ独立峰、イビツルナ山の広い山頂。ここにも、もちろんゴールにも大勢の観客が現れ、物売りも来てお祭りのようだった。
優勝候補ナンバー・ワンのトーマス・スカネクが遂にチャンピオンシップを手にした。開催国の面目をかけて健闘したペペことペドロ・パウロ・ロペスは、サーフィンの国際大会で活躍していたこともあり、絶大な人気。彼も、パウリーニョ(兎ちゃん)ことパウロ・コエリョも、後にハンググライダーの事故で亡くなり、活躍を続けられなかったのが非常に残念だ。
日本チームは、水や食事で体調をくずさないよう気をつかった。

*成績
■個人
1位 Suchanek,Tomas チェコスロバキア(当時)
2位 Lopes,Pepe ブラジル
3位 Coelho,Paulo ブラジル
31位 今嶋功  43位 田中栄一  46位 梅田昭守
67位 相川利生  74位 峰岸正弘
■チーム
1位 イギリス

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■第9回 アメリカ合衆国 オーエンズバレー 1993年6月28日〜7月10日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:内田孝也 アシスタント:佐々木弘道、金山孝治
パイロット:峰岸正弘、大野正樹、梅田昭守、外村仁克、田中栄一、安東正夫
数々のクロスカントリー記録を生んだ「伝説の地」が舞台。ランチサイトは1ヶ所を使用。南北約160kmの谷をはさんだ前方(西側)に雪が残るシエラネバダ山脈。目に入るのは乾燥した茶色の山と谷、生命力の強い植物。いかにも強烈な上昇風が発生しそうな風景で、実際に標高6000m以上まで上がることもある。選手は酸素ボンベ装備が義務。毎日100km超のタスクで、高度を上げたらとにかく突っ走る。10本飛び、タスク距離の合計は1350.5km。たいへんスケールの大きな競技だったが、地上サポートのいないチームの苦労も大きかったと思う。
地元パイロット、日系アメリカ人のクリス・アライが優勝するだろうと思われたが、最終日に僅差でスカネク勝利が決まった。その日のゴールは20名。もし18名だったらクリスがチャンピオンになったと噂された。
日本チームでは峰岸正弘が大健闘、予選でグループ1位になった日も。

*成績
■個人
1位 Suchanek,Tomas チェコ
2位 Arai,Christopher アメリカ
3位 Gibson,Mark アメリカ
20位 峰岸正弘  54位 大野正樹  64位 梅田昭守
67位 外村仁克  72位 田中栄一  85位 安東正夫
■チーム
1位 アメリカ
2位 オーストラリア
3位 イギリス
11位 日本

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■第10回 スペイン アージェル 1995年7月1日〜7月15日
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*クラス1&クラス2(日本はクラス1のみ参加)
チームリーダー:内田孝也 アシスタント:秋元太郎
パイロット:今嶋功、坂本三津也、鈴木博司、市川正、池之上透、外村仁克、大野正樹
ピレネー山脈に平行して波状に岩山が連なり、その一つにランチサイトがある。プレ大会はコンディションに恵まれず、選手はかなりのプレッシャーを感じつつ本番に臨んだ。幸い前年より好条件で、プレ大会に出た選手は胸をなでおろした。この1年半ほど前から、すべての国際大会はトーマス・スカネク対マンフレッド・ルーマーの戦い。この選手権も二人だけの大会のようだった。最後のフライトを前に、それまで10本飛んでなお二人が同点だったのには驚いた。最後の最後でマンフレッドがゴールラインの直前に降り、トーマスが史上初の3連覇を達成。
それまでイギリスやオーストラリア、アメリカが強豪だったが、オーストリア、フランス、スイスの健闘が目立った。クラス2の競技は、同じ空域ながら時間差で行われたので見られなかったが、出場機はスイフトのようなタイプだったと記憶する。また、初めてキングポストの無いクラス1機が登場して注目された。多くの選手がGPSを使用。パイロンは写真撮影。

*成績
■クラス1(フレキシブル) 個人
1位 Suchanek,Tomas チェコ
2位 Ruhmer,Manfred オーストリア
3位 Walbec,Richard フランス
43位 今嶋功  53位 坂本三津也  56位 鈴木博司  58位 市川正
59位 池之上透  68位 外村仁克  69位 大野正樹
*FAIサイトでは今嶋は43位だが、毎日の得点表記がおかしく、順位が間違っているかも。
■クラス1 チーム
1位 オーストリア
2位 フランス
3位 アメリカ
11位 日本
■クラス2(リジッド) 個人
1位 Porter,Brian アメリカ
2位 Bertrand,Noel フランス
3位 Hediger,Andre スイス

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■第11回 オーストラリア フォーブス 1998年1月26日〜2月9日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:内田孝也 アシスタント:中村庸十
ウインチオペレーター:高橋明 アシスタント:佐々木弘道
パイロット:藤田直己、鈴木博司、宮本功、大野正樹、外村仁克、大門浩二、菊池守男、峰岸正弘
フラットランドでの開催のため世界選手権初のトーイングによるテイクオフ。マイクロライト機または車に積んだウインチで選手を上空に引っ張り上げる。トーイングは選手にかかる経済的負担が大きく、また事前にトレーニングできず参加しなかった国もあった。日本チームはウインチを2台使用。
トーイングするパドック(収穫後の麦畑)は広大で、各チームにトーイングレーンが割り当てられたため、遠いレーンにいるチームの動きはまったくわからなかった。オレッグ・ボンダーチュクが破竹の勢い、トーマス・スカネクとマンフレッド・ルーマーの力も衰えず混戦模様だったが、若さに似合わず(?)堅実なレース運びを見せたギド・ゲールマンがチャンピオンに。12日間連続、厳しい乾燥と暑さ(上空は涼しいが)のなかで150km超のタスクをこなすのは並み大抵のことではない。最終日、競技終盤で凄まじいサンダーストーム。
くっきり目に見える『ガストフロント』に、大陸の強大な自然を感じた。

*成績
■個人
1位 Gehrmann,Guido ドイツ
2位 Bondartchuk,Oleg ウクライナ
3位 Ruhmer,Manfred オーストリア
37位 藤田直己  39位 鈴木博司  65位 宮本功
66位 大野正樹  73位 外村仁克  75位 大門浩二
109位 菊池守男  123位 峰岸正弘
■チーム
1位 オーストリア
2位 ドイツ
3位 イタリア
10位 日本

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■第12回 イタリア モンテ・クッコ 1999年7月25日〜8月8日
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チームリーダー:内田孝也 アシスタント:中村庸十
クラス1パイロット:大門浩二、峰岸正弘、外村仁克、鈴木博司、波多野康雄
クラス2パイロット:板垣直樹
スイスアルプス等に比べて穏やかな山容を見せる5ヶ所のランチサイトを使用。風を読むのが難しく、山から離れるタイミングがずれると致命的な場合が少なくなかった。クラス2も同じ場所からテイクオフ。飛行コースはクラスで異なったが、同じ空域を飛ぶことも多かった。クラス2はコントロー ルバーのついたタイプ(現クラス5)が主流。皆、クラス1との性能差がどれぐらいあるのかに注目した。
マンフレッド・ルーマーのずば抜けた飛びは健在、独壇場の初勝利だった。ライバル、トーマス・カネクがセールプレーンの大会出場を選んで参加していなかったのを、マンフレッドが一番残念に思っただろう。何度か使用したランチサイト、モンテ・スバシオは有名なアッシジの上方にある。アッシジはまたパイロンでもあり、地上サポーターは僅かな時間ながら中世の香りを楽しんだ。

*成績
■クラス1(フレキシブル) 個人
1位 Ruhmer,Manfred オーストリア
2位 Wolf,Andre Luiz ブラジル
3位 Matos,Pedro ブラジル
17位 大門浩二  57位 峰岸正弘  65位 外村仁克
102位 鈴木博司  105位 波多野康雄
■クラス1 チーム
1位 ブラジル
2位 イギリス
3位 オーストリア
11位 日本
■クラス2(フレキシブル) 個人
1位 Kratzner,Christof ドイツ
2位 Carr,Johnny イギリス
3位 Truttman,Hansjorg スイス
18位 板垣直樹
■クラス2 チーム
1位 スイス
2位 ドイツ
3位 アメリカ
9位 日本

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■第13回 スペイン アルゴドナレス 2001年6月16日〜6月30日
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*ワールドエアゲームズ(WAG)併催
チームリーダー:内田孝也 アシスタント:山本貢、石川亜哉子
クラス1パイロット:大門浩二、平林和行、氏家良彦、峰岸正弘、太田昇吾、外村仁克
クラス2パイロット: 板垣直樹、大沼浩、古坂学俊、境卓史
アルゴドナレスの東ランチと西ランチを使用。ワールドエアゲームズ(WAG)併催のため、アンダルシア地方での開催になったが、当地を知るパイロットの多くは開催に反対した。スペインのパイロットが「もっといい場所がたくさんあるんだ」と言い訳をするほどアルゴドナレスは渋いコンディション続き。しかもWAG枠の出場者を含め200名が一つのランチサイトからテイクオフしたため、狭い空域にクラスの異なる多数のグライダーがひしめきあうことになってしまった。
渋い条件でもマンフレッド・ルーマーは相変わらずの強さを発揮し、連覇。クラス1はオーストリア勢が上位を独占し、強いのはマンフレッドだけではないところを見せつけた。クラス2はイタリアのプロナーとチェフが光り、この後も二人は好敵手としてトップの座を競っている。日本チームでは板垣直樹が健闘、クラス2の5位に入賞した。

*成績
■クラス1(フレキシブル) 個人
1位 RUHMER, Manfred オーストリア
2位 HEINRICHS, Gerolf オーストリア
3位 REISINGER, Robert オーストリア
58位 大門浩二  69位 平林和行  87位 氏家良彦
89位 峰岸正弘  90位 太田昇吾  91位 外村仁克
■クラス1 チーム
1位 オーストリア
2位 ブラジル
3位 フランス
14位 日本
■クラス2(リジッド) 個人
1位 PLONER, Alessaandro イタリア
2位 CIECH, Cristian イタリア
3位 TRIMMEL, Manfred オーストリア
5位 板垣直樹  17位 大沼浩  20位 古坂学俊
26位 境卓史
■クラス2 チーム
1位 イタリア
2位 オーストリア
3位 スイス
4位 日本

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■第14回 ブラジル ブラジリア 2003年8月16日〜8月30日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:郷田徹 アシスタント:高橋明
パイロット:大門浩二、鈴木博司、板垣直樹、平林和行、大沼浩、安東正夫
フラットランドに盛り上がった台地(標高1200m)からテイクオフし、首都の官庁街の中央にゴール(標高1000m)。ブラジリアは町などないところに建設された首都。市街地を出ると、1960年の首都移転以前の自然が残っている。ある日のコース途中の山にはピューマが出るから注意しろと競技役員。すっきりしない曇天の日もあったが、70〜200kmのタスクを10本消化。そのうち9本は官庁街のゴールを使い、たくさんの観客と物売りが集まった。
遂にマンフレッド・ルーマーが3連覇し、トーマス・スカネクに並んだ。メダルの数では、2002年にクラス2チャンピオンになっているので最多の4個目を手にした。彼の勝利を阻むのはブラジルのベッチーニョ・シュミッツと言われたが、作戦が裏目に出て優勝ならず。上位者は無駄な動きをせず、コースをよく研究している。それがはっきりとわかった競技だった。日本チームでは大門浩二が自分のペースを守り21位に。

*成績
■個人
1位 RUHMER,Manfred オーストリア
2位 REISINGER,Robert オーストリア
3位 BOISSELIER,Antoine フランス
21位 大門浩二  44位 鈴木博司  54位 板垣直樹
57位 平林和行  67位 大沼浩  77位 安東正夫
■チーム
1位 オーストリア
2位 ブラジル
3位 フランス
9位 日本

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■第15回 オーストラリア ヘイ 2005年1月6日〜19日
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*クラス1のみの競技
チームリーダー:郷田徹 アシスタント:高橋明
パイロット:大門浩二、野間靖弘、永光秀明、板垣直樹、外村仁克、大沼浩
第11回のオーストラリア大会に続き世界選手権では2度目のトーイングによるテイクオフ。一握りの選手が車載ウインチのトーイングを選び、日本チームはマイクロライト機に曳航される『エアートー』で上空へ。23チーム、101名が参加したが、マンフレッド・ルーマーとブラジルチームの姿がないのが寂しかった。乾燥し「まるで火星」だと聞いていたのに雨は降るし、緑の草は生えているし……いつもと違うヘイ。競技中の事故もあり、成立フライトは7本に終わった。
マンフレッドがいない世界一決定戦はオレッグ・ボンダーチュクの独壇場。初日に首位に立ち、文字どおりの独走状態で最後まで走り抜けた。日本チームでは、大門浩二が実力を発揮、中盤でトップ10を狙える位置についた。しかし果敢に攻める姿勢を崩さず、結果的に順位を下げることになったが、みごとな走りっぷりを見せた。オレッグの独走を許したものの、上位選手の力は伯仲。より無駄なく速く飛ぶことが身についていると、あらためて感じた。

*成績
■個人
1位 BONDARCHUK,Oleg ウクライナ
2位 REISINGER,Robert オーストリア
3位 HEINRICHS,Gerolf オーストリア
21位 大門浩二  48位 野間靖弘  49位 永光秀明
51位 板垣直樹  56位 外村仁克  66位 大沼浩
■チーム
1位 オーストラリア
2位 オーストリア
3位 フランス
7位 日本

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■第16回 アメリカ ビッグスプリング 2007年8月9日〜17日
google map で”ビッグスプリング”を表示   albumへのリンク
*クラス1のみの競技
チームリーダー:北野正浩 アシスタント:小間井みゆき
パイロット:大門浩二、板垣直樹、外村仁克、鈴木博司、加藤実、鈴木由路
今回の世界選手権もトーイングによる競技。「ドラゴンフライ」やトライクによるエアロトーイングでビッグスプリングの飛行場を出発。スプリンクラー潅漑による円形の綿畑が続き、石油の掘削ポンプが立ち並ぶ、乾燥した土地をひたすら飛ぶ。風下に流す行きっぱなしタスクが大半を占めたこともあって、合計タスク距離は7本で1266kmに上った。
日本チームは初日に史上初の国別1位を獲得。その後浮沈があり、最終成績は7位となったが、個人成績でタスクごとのトップ10入りや900点台獲得が珍しくなくなり、実力の向上ぶりが実感できた。他のチームからも、対等のライバルとして見られるようになったのが大きな収穫だった。
優勝はハンガリーのアッティラ。世界選手権に出続けて苦節14年で、ついに栄冠を手にした。国別優勝のイギリスは、特にずば抜けた選手はいないにもかかわらず、確実にゴールを重ね、高い平均点を維持し続けた。一つの方向性を見せられた思いがした。

*成績
■デイリー
Task1 Task2 Task3 Task4 Task5 Task6 Task7

個人
1位 BERTOK, Attila ハンガリー
2位 REISINGER,Robert オーストリア
3位 HEINRICHS,Gerolf オーストリア
26位 板垣直樹  27位 鈴木博司  32位 大門浩二
54位 加藤実   82位 鈴木由路  84位 外村仁克

チーム
1位 イギリス
2位 フランス
3位 オーストリア
7位 日本

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  ●選手によるフライトリポート
 

DAY1 TASK1  <大門 浩二>

Task 1
いよいよ世界選手権初日。自分にとっては初めてのエリアだし、去年のプレ大会の情報や練習日のローカルフライトのみしかコンディションの予想判断材料がなかったので、あまりリスクを負わず確実なフライトを心がけた。ただ、過去の経験からフラットランドでのセオリーは充分理解しているつもりなので決して消極的になるつもりはない。
しかしそれにしても渋いコンディションだ。対地高度1200-1400m程度で約140km。テールウィンドとはいえ比較的緑も多く平均上昇率は良くて+1.5-2.0m/s。それでも競技は進んでいく。
スタートは良い位置からいい集団の顔ぶれで無難に進めた。集団の中のコース取りも、テールウィンドの中でもやや風上よりのコースを位置することで効率よく進めてリフトへの絡みも比較的自分のイメージどおりに得ることが出来た。全体的に他の選手も初日のタスクなので様子見しながら確実に進んでいるように感じられる。タスク中盤では多少コース取りが分かれたりワンサーマルずれたりもしたが、終盤のゴールまで残り30km付近でトップ集団の顔ぶれが自然と集まってくる。当然自分もその中にいることを意識し、残りゴールまでの勝負どころであることを感じていた。
あとワンサーマルを上げきればファイナルグライドとなるだろうポジションで、レイジンガーやジョニーはやや風上コースへシフト。
これまでの経験から、時としてトップ集団は最後のレグを風上側へシフトしすぎることがあることを経験していたので、決して他人の動きを鵜呑みにせず慎重に自分で判断するように勤めた。
残り22km地点で集団からやや低く抜け出す二人のパイロットを下に従えて自分も動く。狙い通り、後ろの集団よりやや低めだが、より強いリフトを得て最後の上昇。すぐに後ろの集団が混ざってくるも、上に付いたのがアティラだけで下にゲロルフらの集団入りそのまま上げきってファイナルグライド。
ファイナルでの高度さ順番でゴールへなだれ込む。
前を行くアティラ(だと後で知ったのだが、)を何とか追い越せそうだったのだが、既に2機先行してゴールしているのが見えていたので無理にリスクは負わなかった。ほんの少しアティラのほうが高かったし。
そして結果は、2位。
決して順位を意識したり勝負をかけたわけでもなかっただけに、正直自分でも「でかした !」と思った。そしてこの調子で自分を信じて順調に行くはずだったのだが・・・。

DAY2 TASK2  <鈴木 博司>

タスク2
タスクは、北北西に70.7kmのLAMESAに行った後、北北東に115kmのCROSBYがゴールの合計185km。
天気は快晴だが、この日も完全なブルーコンディションでサーマルは渋い。風は南南東の風やや強く、ファーストパイロンまでは風に乗っていれば楽勝だが、パイロンを取った後は、サイドっぽくなるので難易度は高くなるタスクだ。
14時50分、ファーストスタートで大集団とともにスタート。加藤、由路両選手も同じスタート、他3選手はセカンドスタートにする作戦。特に決めていたわけではないが、日本チームは若い(私も3番目に若いです)3選手で先頭を引っ張り、後方から来る3選手に情報を送るというなかなかいい体制になると思われた。
最高でも2200m位しか上がらず、対地では1000mちょっとと非常に渋い中、ファーストパイロンのLAMESAまでは加藤選手、由路選手とともに先頭集団で移動。ファーストパイロンをクリアーして最初のサーマルで、由路選手と鈴木は先頭を行く選手を追いかけるため上げきらず少し低めでスタート。
しかし今までのようにドフォローではないためこれが裏目に出てしまった。次のサーマルまでが思いのほか遠く、一番低くなった由路選手はサーマルに入れず88km地点にランディング。鈴木も対地100mを切るが、ぎりぎり先頭集団のサーマルに入ることができなんとか復活。
このサーマルで上げていると、先頭集団について行っていた加藤選手が少し戻ってこのサーマルに合流。後ろから追いついて来た数機とともに進むが、100kmを過ぎた頃から今までのような上がりはなくなり、次第に渋くなる。先を急がなくてはいけないのでしょうがなく上げきる前に動いていたら、120km地点でさらに渋くなり、加藤選手他全員が123km地点にランディング。
鈴木も再び対地100m位になったもののかろうじて生き残り、その後サーマルを乗り継ぎ2300mまで上昇。
ここから、コンディションが好転。140km地点からファイナルをかける160km地点まではまるで火星のような地形でかなりびびったが、2500mまで上がる好条件にも助けられ、フライトタイム4時間15分、25位でゴール。
ゴールはできたもののタイムが遅い。120km地点で降りそうになってしまってから慎重になり過ぎたのが良くなかった。時間も遅くなっていたのも慎重になった原因だが、コンディションが良くなってきていたのでもう少し攻めていけなければならなかった。
ゴールは35名で、最速タイムはセカンドスタートのゲロルフ選手の3時間34分。
日本チームは鈴木のみがゴールで、セカンドスタートの選手はさらに途中が厳しかったようだ。

DAY3 TASK3  <板垣 直樹>

タスク3
もう良く覚えてないんだけど、なにしろ初日が良かったでしょう。さすが、大門、さすが、日本チーム!って感じで。実は俺は大会初日で訳わかんないまま集団に身をまかせていただけで国別で1位になっちゃったから、イキナリ2日目から気合入っちゃって色気だしたら大ゴケしちゃって…。それと普段使って無い無線機使って飛んだもんだから情報がいろいろ入っちゃったりして集中できない事もあって、3日目は気合入れたって訳じゃないけどスタートの連絡だけ入れた後は無線機切って飛ぶ事にした。初日、2日目、3日目とサーマルは渋くブルー、高度も1200〜400mしか上がらない条件。しかも俺の好きなフラット、冷静に飛べれば、いける!って歯を食いしばって頑張った。スタートは2回目の15時10分。なにしろ頑張ってターンポイントまでは気合も乗ってきて調子良く飛だ。途中3回位は気合の雄叫びを上げたかな〜。
進行方向が変わるターンポイントの手前では、しっかり上げきってターンポイントを取るのが理想なんだけど、そこそこの形で進む無事ができた。その後調子良く飛びながら先頭集団に。後半渋くなって来た所で実が集団を引っ張りそれについて入ったらゴール手前30km位から渋くなり始め、この日初めて自分でもサーマル見付けながら何とかゴール。後半疲れが出る所でしっかりと勝負かけられるくらいペース配分ができればトップ争いができるけど、それができないまま先頭集団のケツ、10番でゴール。最後が甘いんだよな!!。ヤッパ日頃の練習があきらかに足りないって感じでした。

DAY4 TASK4  <鈴木 由路>

大会4日目、タスク4。北西へ149km、DENVERストレートゴール。風は南西。始めの3日間とは打って変わってリフト良し、雲良し!
1回目のスタート前、まあまあの位置にいたが『ここ3日間は2回目のスタートの方が上位にいたこと』『これからもっとコンディションが良くなる!と言う希望』『後ろから追いついてタイムで勝負!と言う願望』からスタートを遅らせる。 2回目のスタート。ずいぶんと機体が少ない…。トップから200m下だがスタートを切る。始めみのるさん、ドイツのルーカス、NO13(オラブ)らと飛ぶ。少し低くても、先行して良いリフトをヒットすれば追いつくので、ガンガン引く。4,5個目のサーマルでみのるさんやルーカスに追いつくが、まだ先行してるグライダーもいる。ゴール手前70km付近、グライドのコース取りの違いでみのるさんたちと高度差が200mくらい出来てしまい、その後のサーマルで完全に置いていかれる。その後はオランダのクースと一緒に飛ぶが、あまり良いリフトを拾えず進むことに。無線情報からみのるさんよりも5km遅れている。35km手前、クースをちぎって低くなるがなんとか弱いリフトで上げ直す。しっかり上げて残り20kmでファイナル。みのるさんから10分くらい遅れてなんとかゴール。 フライトタイム2時間34分。セカンドスタート組トップのGustavoから20分遅く、みのるさんから8分遅い。フライトタイムで言うと、この日トップのDavid Seibよりも25分遅い。
<フライト直後の反省>
○前半は集団だったのでいいペースで進めたが、後半は一人二人だったので良いリフトで進めなかった。→良いリフトを探す力・見つける力が必要。
○一回のグライドのコース取りでだいぶ高度差が開いた。→他機、雲などを見て上手くリフト帯の乗る能力が必要。
〇ゴール手前35km地点でのスタックで15分くらいロス。→スタックしないで飛ぶ能力が必要。
〇セカンドスタート組トップのGustavoでさえ40位。セカンドスタート自体が失敗だったらしい。
<SEE YOUによる反省>
○80km地点でGustavo、Dustinの集団6〜7機(西寄り)とみのるさん、Olavの集団6〜7機(北寄り)に別れていたが、みのるさんの集団しか認識できてなかった。
○手前30km地点まではセカンドスタート組トップのGustavoと10分差くらいだったが、そこで弱いリフトに構うことになり、上げきるのに15分もかかってしまった。→10分のロス。
○今回課題だったグライドスピード。プレ世界選や日本選手権ではトップフライヤーに比べ自分はシンク帯で遅く、リフト帯で速かった。しかし今回はトップフライヤーがシンク帯で87km/h、リフト帯で68〜75km/hだったのに対し、自分はシンク帯84km/h、リフト帯71km/hとあまり遜色ない数字で飛べた。ただし、この日1000点のDeib Seibはシンク帯92km/h、リフト帯82km/hとずば抜けて速かった 。

DAY5 TASK5  <加藤 実>

TASK5 285.3km
5日成立したらその次は休み、という当初の予定通り、翌日はレストデーに決定。
それが理由なのか経緯は知らないが、とにかく条件は良いからたくさん飛ぼうぜ!ということらしい・・・追い風で平均60km/hで飛んでも5時間かかる距離だ。こいつらはやはり頭がおかしいと言わざるを得ない。
今日も早めに曳かれて、空港の上で待つ。
しかし、しばらくして待ちきれずに徐々にスタートゲート方向に移動を開始してしまったのが良くなかった。
スタート時間前になっても、周りにいる人数はあまり増えてこない・・・ということは?またやっちゃった!?
・・・というわけでメインのガグルは東よりからスタート、自分や大門さん、ほか少数は西よりからスタート。やや不利な位置か?
西よりコースではスタート後いきなりほんの少しのコース取りの差で大門さんに高度を離され、その後の上げで離された高度が効いて1サーマル以上いきなりたっぷり離されてしまう。弱いのを我慢してかまって進むが大門さんはほとんどもう見えなくなってしまった。
メインの集団を視界に入れるため、少し東にコースを寄せていくことにし、先へ進む。その後しばらくしてアントワン(フランスの26歳、パラも上手い)と合流、こいつも置いていかれていた様子で、2人で一緒になり鬼のように長いグライドと良い上昇を続けていたら、なんとか第2集団あたり(多分・・・)に追いついた。ここらでアントワンはさらに突き進んでいって見えなくなってしまったが、かわりにダビデ、ルーカス、板さんなどと一緒になったので、その後の展開は少しは楽 になった。
最初彼らより低かったが、ファイナル少し前の上げで下から上がってくる鳥を発見、ガグルを無視してそっちにかぶったらビンゴ!!完全に追いつき、一緒にファイナルグライド。
ゴールしたものの、やはり東スタート先行組みから20分ほど離されてしまった。
後半は自分も速かったはずだが、やはり前半で離され過ぎたのが効いたのだろう。
フランスのマリオがトップでゴール。
しかし驚くべきはスタート後すぐに西に消えていったクリスチャン・チェク。おそらく集団より30km以上西よりのコースを単独で飛び、なんとマリオと1秒差でゴールしていた。
世界は広い・・・。
やはり速い人と飛ばないと離される一方ですね。
スタートの精度を如何にあげるかが今後の課題です。

DAY8 TASK7  <外村 仁克>

タスクは172km、HOBBSゴール、風は東南東5m、ほぼ風下方向へストレートゴール。
明日からは、台風の影響が出て飛べないだろう、今日が実際のところ最後となりそう。
ゲートオープンと同時にトーレーンに並ぶが、ほぼ全選手が並んでしまった。こうなると、後半の組は出られない。待つこと1時間、タグの故障やらで北レーンは遅れている。やっと順番がきた頃には、TO付近からコース方向にかけて曇ってしまった。あと15分でスタート時間と言う頃にやっとTO。上がらない。対地800m程度で2回目のスタートに遅らせるかと考えたが、このしょぼい中で遅らせてもダメと判断。とにかく天気が回復するまで、我慢して進む事に。先行組みの無線が届き難くなった。彼らは晴れ間の内にスタートを切ったのだろう。60kmあたりまでは、対地500〜800mの繰り返しで時間ばかりが過ぎていく。だが次第に晴れ間が多くなっている、もう少しの我慢だ。
スタートしてから1時間30分、リフトが強くなってきている。雲低も2500mまで達するようになった。遅れている分を取り戻すべく、でかい雲低だけを使う。雄二が追いついて来た。しばらくは3〜4機のグループで雄二と走る。途中先行したが目指した雲までが遠く躊躇している間に遅れてしまう。そろそろ疲れてきたのか、判断が遅れる。無理をして400m以下で雲低に着くが、リフトが見つからないで危うく降りそうになる。やっとの思いで雲低まで回復、今日が最後なんだから、チーム全員ゴールしなくては。
残り50kmあたりで雲低2800mとなり時間的にもゴール出来る予測が出来た。
「これがテキサス最後のサーマル」を惜しみつつ、ゴールの板さんに無線を入れた。
「こちらとのやん、あと20km、2000、ゴールに向かいます。」
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  ●第16回世界選を振り返って・・・今後への課題
 

世界選手権の準備・・・板垣直樹

今回は今までの経験から4ヵ月前からしっかり体作りをはじめた。筋トレ、体重管理等。
体作りは長丁場でタフな競技を意識してバランス良く行ったが、手首や腕(プッシュ方向)は特に意識して強化した。期間中は食べ物も意識してとって、朝晩は7〜8種類のサプリメントをとって体調管理にも十分?気を付けた。ビールも出来る限り我慢したと思う…?。
日本に帰ってからも、そのまま体調管理を続け様と思ってるけど当面の目標が無いとなかなか・・。 後、世界戦に行くには日頃からしっかりと家族サービス等をして…。

世界選を振り返って・・・鈴木 博司

まず、個人成績について。27位という成績は今まで出場した世界選手権の中では最も良い成績でしたが、前半15位と目標のベスト10に手が届くかというところまで行ったにも関わらず、後半の失速で順位を下げてしまったのは非常に残念でした。
ソアリング技術に関してはトップの選手と比べても全く引けを取ることはなかったですが、スピードレースになった時に、ひとつのコース取りのミスや判断ミスで大きく遅れを取ってしまいそれを取り戻すことができなかったのが後半の失速の原因になってしまいました。また、今回の世界選手権は4年振りの世界大会、しかもその4年間に一度も海外で飛んでいないため、もっと海外でトップ選手と飛ぶ機会を増やさなくてはいけないと痛感しました。 チーム成績は7位と過去最高位の5位に次ぐ好成績でまずまず納得のいく結果でした。
初日にトップを取ったのは日本のレベルが確実に上がっている証拠です。個人のレベルをあと少しずつ上げていければ、次の世界選手権で5位以内も狙えると思います。

振り返って・・・大門 浩二

今回の世界選手権では、ほとんどのタスクがテールウィンドでのコースだったためもありグライダーの性能差はほとんど感じられなかった。個人的には、各メーカーともほぼ横並びのパフォーマンスを示していたと思う。それよりも、効率の良いコース取りとより強いリフトを早く見つけ早く高く上昇するといった最もセオリーに沿った判断が大きく影響していたと思う。それと、ガーグルの仲での上昇テクニックもひとつの要因といえる。
そして集団でのサーマルサーチとコース判断もひとつの要素でした。
但し良いコンディションになればそれらの差がより大きく影響してくるし、経験値の高い者は単独行動でもよりよい結果を残せていると思う。
やはり、コンディションにかかわらずより高い技術と経験をもとに判断できる者が結果を出していると思う。しかし、今回の世界選手権では、マンフレットやオレックがいないせいか、全体の個人レベルも飛びぬけて光っている者はあまり感じられなかった。グライダー性能についてもそう感じた。それでも結果に差が出るのは明らかに個人レベルの差である部分も要所要所として感じられた。日本のパイロットもそこに手が届きそうなレベルには充分に達していると思われる結果だったが、その土俵に乗るためにはもっともっとその環境を作り上げてその土俵の上で競技をしていかなければいつまでも「あと少し、いいところ・・」までで終わってしまうと思う。
最後に、今回の世界選手権出場に際し、全国各地のフライヤーの皆様からたくさんのご支援とご声援を頂き誠にありがとうございました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
今後、自分らの経験をより多くフィードバックできるように努力して御礼に変えさせていただきます。
2007世界選手権 日本代表 大門浩二

大会を振り返って・・・加藤 実

フォーブス、フロリダ、ヨーロッパを転戦して臨んだ世界選手権、気合は入っていたはずなのですが、それとは裏腹に蓋を開けてみれば条件的にはとても渋いものとなりました。後半条件は好転しましたが、前半の大失敗を取り戻すためにはあと最低1週間くらいは競技日程が必要でした。いい意味でも悪い意味でも緊張感が足りなかったかな?と感じます。
日程を通じて言えることは、「スタートが下手」ということに尽きます。
EXITスタートなので、毎回シリンダーギリギリにつけてスタートするつもりで飛んでいましたが、風が割と強く、サーマルが弱いという条件の下ではもっと慎重にシリンダーの端に寄せていくべきでした。大抵弱いサーマルで流されすぎてしまい、スタート直前にシリンダー外側に出てしまうという失敗を犯すパターンが多かったように思います。
それに加え、弱い条件下での飛び方がまだまだ未熟な事を痛感しました。つい前に出てしまう癖を抑え、我慢して飛ぶことが渋い条件下では必要です。
しかし一方では、自分のスピードが世界に通用するという事もわかり、自信になりました。また、初日の国別1位は間違いなく現在の日本チームの実力の一角を表したものだと思います。
まだまだもっと上にいける。それが大会を終えての実感です。
そのために一番大事なことは、競技への参加を続けていく事だと思います。 如何にそのための環境が作れるかがこれからの課題ですね。

全日程を通して・・・鈴木 由路

○プレ世界選では、平均点で勝負し29位と好成績を残せたので、今回は「スピード、先行すること」を意識したが、渋いコンディションなのに、昨年の良いコンディションのイメージでガンガン引いて飛んでしまったため降りることが多くなってしまった。しっかり状況判断して、コンディションに合った飛び方をしなければならない。
○最初のスタートタイムに間に合わなかったり、良い集団とスタートが出来なかったりと、スタートのミスも多かった。集団の選定能力、時間に合わせて雲底にいる能力が必要。
○ソアリングはトップの人とさほど変わりはなかった。ただサーマルトップでのソアリングが下手で、ガーグルのトップにはなかなか行けなかった。サーマルの入り始めもこれからの課題である。
今回、初めての世界選手権と言うことでとても気負っていたような気がする。もっと肩の力を抜いて気持ちに余裕を持って飛べたら良かった。
しかし、最終日はTOが遅くスタックしながらのスタートになってしまったのの、上がり切ってからは常に+3m/s以上のサーマル、大気速度80km/h以上のグライドと自分としては(スタート以外は)納得の行くフライトが出来た。
「大舞台で戦った経験」と「また世界選に出場したいと言う意欲」が今回の世界選での収穫となった。

世界戦をふりかえって・・・外村 仁克

今回の世界戦に参加して感じたことは、日本チームが充分、上位入賞を目指せるレベルに達しているという事です。ふだんの日本での競技や各人の努力が良い結果になって現れていると思います。然し個人の成績=チームの成績では世界戦には充分ではないと思います。
ただ皆で飛んで情報を提供しあうというような意味ではなく、プレ選に参加した選手から始めて事前にエリアの気象状況、サーマルの特性など世界戦の参加を目指して情報交換や分担を決めて検討し準備していくような集まりを持つことから始めてはどうでしょうか。またそのための資金についても検討するべきでは?
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